はじめに:いつも「私なんて…」が口癖だった
「どうせ私なんて…」
「私にはできないから」
「私が我慢すればいいよ」
そんなふうに思っていた時期が、私にはありました。
自分の気持ちを抑えて、人の期待に応えようとしてばかりいた私。
笑ってはいたけれど、心の中はいつも、重くてしんどかった。
「生きづらさ」は心のクセから生まれていた
私は長い間、「生きづらさ」は性格だと思っていました。
でも、心理の学びを深め、さまざまな方のセッションを受けていくうちに、
それが“心のクセ”や“無意識の思い込み”から来ていることに気づいていきました。
たとえば——
-
子どもの頃に「いい子」でいようと頑張り過ぎていた
-
「寂しい」「しんどい」と感情を表に出すことが許されなかった
-
自分の価値を“母親の反応”で決めてしまっていた
こうした経験が、自分でも気づかないうちに「私なんて…」の口癖をつくっていたのです。
“私自身”と出会い直す時間
さまざまなセッションを受けてきたなかで、ある言葉がふと心に浮かびました。
「もう、頑張らなくていいんじゃない?」
誰かに言われたわけではなく、どこかで、自分の奥から声が聞こえたような気がしました。
それは、長い間閉じ込めていた“本当の私”が、手を伸ばし続けてきた瞬間、つかんだ感覚だったのかもしれません。
玉ねぎの皮を1枚1枚はぐように、覆っていた何かがはがれた瞬間でもあります。
そこから、少しずつ「私のままでいいのかもしれない」という感覚が芽生えてきました。
話すことが苦手な私も・・・
洒落た一言が言えない私も・・・
勘違いをして、とんちんかんな受け答えをした私も・・・
それは、大きな変化ではないけれど、心が静かにほどけていくような感覚でした。
自己受容は、“自分に寄り添う”ことから始まる
「自己受容」と聞くと、難しいことのように思えるかもしれません。
でも私にとっての第一歩は、“否定しない”というシンプルな選択でした。
できなかったことも、過去のつまずきも、
「それも私だった」と、少しずつ認めていくこと。
完璧じゃなくても、うまくできなくても、
「今日もよくやれたね」って、自分に声をかけられるようになった時、
世界の見え方が、ほんの少し変わった気がしました。
最後に:今もまだ、途中で大丈夫!それを一生続けるなら、それはもはや途中ではなくなる
今も完璧な自己受容ができているわけではありません。
落ち込むこともあるし、不安になる日も時にはあります。
でもそんな日も、「あぁ、これが今の私なんだな」「ちょっとイライラしちゃったな」「めっちゃ、焦ったな」と、そっと受けとめられるようになりました。
このブログを読んでくれたあなたも、もし「私なんて…」が口癖なら、
どうか今日だけは、その言葉の代わりに、
「よくやってるよ、私」「上等上等!」「バッチリよーん」って、つぶやいてあげてください。
それが、自己受容のはじまりになるかもしれません。そんな口癖を今日からあなたも(^^)