話したくても話せなかった私が、「言葉の自由」を取り戻すまで

〜怒りに気づくことで、心が治まっていったお話~

「余計なことを言いなさんな」(関西弁ですが(笑))

このような言葉、皆さんは言われたことがありますか?
私は、幼い頃よく母からそう言われていました。

言葉を覚え始めた子どもは、無邪気に思ったことを口にします。私もきっと、おしゃべりが楽しくて、いろいろなことを話していたのでしょう。けれど、そのたびに母に抑え込まれるうちに、こんな風に思うようになりました。

「思ったことを話すのは、いけないことなんだ」

そして、少しずつ自分の気持ちや考えを言葉にすることに、ブレーキをかけるようになっていきました。

話したいけど話せない――小さな心の葛藤

小学校に入ると、集団生活が始まり、人と関わる機会が増えます。
周囲と関わるには「ちゃんと話さなきゃ」と思うのに、いざとなると頭が真っ白になって、何も言えない。

話したくても話せない自分に対して、今度は「ちゃんと話せない自分」への怒りが湧いてきました。
でもその怒りも、心の奥に押し込めてしまったのです。

なぜかというと、私の母は日常的に愚痴をこぼし、いつも怒っていました。
その姿を見て育った私は、「怒りは怖いもの」「人を不快にさせるもの」「感じてはいけないもの」だと、無意識に思い込むようになっていたのです。

怒りに気づけた時、心に変化が起きた

でも、ある時、気づいたんです。
怒りって、感じること自体が悪いわけではないんだなということを。

「私は怒っている」とただ認識するだけで、感情がふっと治まってくることがあります。
出来事の瞬間には、対応できなくても、後から
「私は何に怒っていたんだろう?」
「何が引っかかっていたのかな?」
と自分の心に優しく問いかけることで、少しずつ答えが見えてきたりします。

すると、「このタイミングでこう伝えよう」と冷静に考えられたり、
逆に「まあ、いいか」と心が落ち着いていったりするのです。

怒りは「感じてはいけないもの」ではなく、「ただそこにあるもの」。
その感情を否定せず、認めることで、私たちは心の葛藤から自由になれるのかもしれません。

自分に怒っていたことに気づいたら

私自身、話せない自分にイライラしていた時、体が重く、やる気が起きない日々が続いていました。
でもそれは、「自分に怒っていること」に気づいていなかったから。

もし皆さんも、何となく気力が湧かない時があれば、こう問いかけてみてください。

「もしかして、私は自分に怒っているのかな?」あるいは

「もしかして、私は何かに怒ってるのかな?」

そんなふうに、感情を優しく見つめてあげるだけで、心がスーッと軽くなることがあります。

話したいけど話せない言葉の葛藤から自由になれた私

今の私は、話したい時には話すし、話したくない時には無理に話さなくてもいい、そんなふうに「自分軸」で選べるようになりました。

あの頃の「あ〜〜う〜〜」と真っ白になっていた私も、少しずつ、安心して言葉を紡げるようになってきたのです。


最後に

私たちは、知らず知らずのうちに「言ってはいけない」「感じてはいけない」と思い込んでいることがあります。
でも、その感情に「気づくこと」からすべてが始まります。

怒りも、悲しみも、不安も~~
どんな感情も、あっていい。
そして、その感情と仲良くなれると、心がほんの少し自由になれるのかもしれません。

このブログが、誰かの気づきや癒しのきっかけになりますように。

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