1.母親の介護について考えておくと安心

母娘に限らず親の介護の問題は、父親も関係しますが、私は、中学から母子家庭でしたので、自身の経験から母娘についてお話させていただきます。

私の母は、2019年に他界しましたが、他界して今振り返ると母の介護についての問題は大きな課題でした。と言いますのも

私が母との関係性でちょっとばかりしんどい人生だなと思っていた若い頃は「いい娘」であろうとしていましたので、母親の介護を考えると全面的に私が面倒を見ると思っていました。その頃は母親のために生きていた人生だったと思います。

しかし、年を重ねると共にいろいろ学んだこともあり、母のために生きる人生ではなく自分の人生を生きることを考え始めたわけです。

期待に応えようとすることがなくなると、母の介護を考える時、全面的に面倒を見るというのは違うことに気付きました。必要なサポートはさせていただくのは当たり前ですが、全面的にというところを考え直しました。

そこで、施設を考えました。私たち夫婦は子供はいませんので、自分たちのことを考える上でも役立つと思い、母のことを考えると共に調べてみました。

母が最初に入所したのは、ケアハウスという自立支援施設です。私たち夫婦が住んでいる家から車で10程のところにあり、見つけた時にすぐに話を聞きに行きました。

自分一人の部屋があり、食事は食堂に行き3食付いていますが、自炊も可能で、ある程度自由にやれるところが良かったです。その頃の母は70才でまだ自分で動けており、買い物に行き自分の好きな物を自炊して食べたりというように選択できるというのはいいものです。

母がその施設に引っ越す前は関西圏でしたので、そちらでも調べてみましたが、自炊はできない(部屋で火を使えない)ということでした。地域によっての違いや施設の考え方、費用など、かなり違いがありますので、まずはネットや市役所、役場等での情報収集は必須です。

親の介護の必要性については、個人差があり全くわかりません。介護が必要のない場合はありますが、いざという時には待ったなしですので、母親が自分で考えられる時期に一緒に考えておいて無駄ではないと思います。

 

2.母親の介護について考えたら、次は折り合い

 

いい施設が見つかったものの急に入所というのは難しいです。空きがあるかということと、一番大切なことは本人が納得しなければなりません。そのために早くからお互いに向き合い話し合っていきました。

話し合う時のポイントは、一度で答えを出さないということです。私の場合ですと、最初に施設の提案をした時、母は当然のように拒絶しました。

そこで、無理だと思ってしまうと「どうしよう」となり、無理に説得することになるか、自分が介護も含めてお世話をするかのどちらかです。説得した場合、結局施設での生活はやっていけなくなる可能性が出てきますので、本人が納得する必要があります。

一度で答えを出そうと思わず何度も話し合うつもりであれば、次の機会を待つだけです。私は、何度も話し合うということをカウンセリングから学んでいましたので、知っていました。何度話し合ったか覚えていない位です。

施設を提案し「嫌だ」と言った時「では、どんな風に考えてる?」と聞いていきます。というのも娘が介護まで面倒を見るのは当たり前と思っているからです。

昭和の時代で大家族だとお互いに交代しながらお世話をしていくことも可能ですが、一人で全面的な介護をするのは無理なのです。それを元気な間に「私一人では難しいけど、どう考える?」と母親にも考えてもらう必要があります。

兄弟姉妹がいらしてもそれぞれ生活があり、同じだと思いまますので、決して冷たいと思わず同じように「私たちでは、難しいけどその時はどう考える?」聞いていきます。

やはり介護はプロにお任せして、必ず定期的に様子を見に行き「私たちがいるよ。繋がっているよ」ということを伝えていくことが大切だと思います。

そして、考えてもらい母親の言い分、私の場合は「面倒見てや」というのを「そうね。可能な限りはサポートするよ」と聞いてから「では、どうしようか?」と考えてもらう質問をしていきます。

「どう考える」と聞いて「そんなのわからないわ」となって当然ですので、「そうね。そりゃ先のことだしわからないね。少しずつ考えていかない?」こんな感じで数ヶ月に一度(間隔は様子を見ながら)繰り返します。

そして考えることに慣れてきたら、自分ができることを提示します。例えば、私の場合「施設に月に一度は寄せてもらって、買い物に付き合ったり、その時は一緒に食事をしたりするよ。そして、入院など何かあったらすぐに手配するよ」など可能な限りと言うのは何かを伝えます。

この辺りはそれぞれの生活がありますので、ご自身の可能なところはどこまでかを考えておきます。

一旦、母の話を聞いていくことで冷静になりますので、あまり感情的に突っ込まれることはありませんでした。母親の不安な気持ちをしっかり聞いて、受容することがポイントになります。

これは、母娘関係の介護のことを話し合う時だけに関わらず、通常のやり取りや父親との関係性でも有効ですので、活用されて下さい。

話を聞いて考えてと繰り返している間に段々考え始めて、一度施設への体験入所をしてみることになりました。体験入所では、より抵抗すると思っていましたが、母自身、自分の人生をしっかり見つめて、入所も考えるようになっていましたので、普通に体験をして終わりました。

いくつになっても人は変われると思ったことを思い出します。

その後、空きが出てケアハウスという自立支援施設に入所し、10年以上が過ぎた頃、肺炎を患って入院、退院後は寝たきりになり要介護施設にお世話になりました。私が遠方と言うこともあり(その頃は主人の転勤で東京に住んでいましたので)、比較的早い段階で、要介護施設に入所することができました。

早くから話し合って考えていましたので、お陰様で母娘が困って途方に暮れることはありませんでした。

母娘関係だけではなく、私たちはいずれ死を迎えます。「死」は、人間の卒業であり決して悪いことではありません。まだ先のことと思わず、そして避けてしまわないで話し合ってみて下さい。

施設に入る時までは、それまで習っていた「カウンセリング」で、話をよく聞いて受容してから問いかけるという方法が役に立ちました。施設に入ってから最後要介護施設では、FAP療法の「心に聞く」で自分の心の深い声を聞いてサポートしていくことになりました。

3.FAP療法「心に聞く」で納得のいく答えを感じ取る

FAP療法では「心に聞く」という方法があります。セッションに必要なコードを探す時に活用するのですが、日常でも簡単に使えて自分の本当の答えを「良い・悪い」の判断をせずに感じ取ることができます。

通常でも自分と対話しいろいろなことを選択していると思います。しかし、そのまま自分に聞くと、どうしても「良い・悪い」の判断が入ります。私たちは良い悪いの判断を教えられてきたから仕方がないのですが、良い悪いというフィルターを通してしまうと、世間からみた答えや親の期待に応えようとする答えに従ってしまい本当の自分の答えが見えなくなります。

抑えてしまうとどこか症状として出てしまいます。例えば、やる気が全くなくなったり、直ぐにイライラしたり、体中が重くなり動くのが億劫になったり、胃が痛んだり、出てくる症状は人それぞれです。

抑える必要がある時はあると思います。自分で自覚して「今は、合わせよう」と認識しているといいのですが、それがほぼ無意識に行っていると疲れを感じた時にはマックスを超えているということになります。そうなる前に本当の自分の気持ちを知ることは大切です。

では「心に聞く」方法とは?

その方法はとても簡単です。自分に聞く時に「心よ」とつけて聞いていくだけです。「心よ」とつけて聞くと、無意識さんにアクセスできるキーワードとなります。

つまり「良い悪い」の判断をわきに置いておくことができるのです。聞き方は簡単ですので何でも聞いていきます。すぐに答えを感じなくてもいろいろ聞いているうちに感覚的なものが伝わっていきます。「心に聞く」詳しい説明はこちら

例えば、母が施設入っている時、お世話になっている職員より変化があると電話で知らせてくれます。ある日職員さんより電話が入り「お母さんが寂しいと言って泣いていらっしゃるのよ」と言うことでした。

その時私は、東京在住で母の施設は愛知県です。その次の週には施設に行く予定でした。母の支配性が顔を出し私が動いてくれることを期待したと思います。その時は「心に聞く」で聞いてみました。「心よ。母が寂しくて泣いているけど、今施設に行く?」すると「行かないよ。行かなくて大丈夫だよ」という感覚的な答えを感じました。

施設の職員さんには、後で折り返し電話でお返事させていただきます。と言って一旦電話を切っていましたので、皆さんには冷たい娘と思われると思いましたが、電話をして「来週行きますので、今回は行けなくてすみません。母に伝えて下さい」と連絡を入れました。

そして、次の週行ってみると、母はとても元気でした。(笑)「電話をして」と職員さんにお願いしたことも「そうやったかな」と全く問題ありませんでした。

カウンセリングを学ぶ機会がなくFAP療法も学んでいなければ、母に振り回されて、慌てて行っていたと思います。今、母が他界して丸3年が過ぎましたが、その時のことを昨日のことのように思い出します。

ぜひ「心の奥にある本当の答えを聞いて」親に振り回されず、自身の思うままの感覚で生きて下さいね。

4.自分の人生を生きるということ

 

改めて実感することは、親の介護を考える時、必ず子供は人生を犠牲にしてまでやらないことだと思います。

私の場合、親からの精神的自立はずっとテーマでしたので、母の介護を考える時は意識していました。施設の手続き、毎月状況を見に行き好きな物を買って持って行くなどは欠かせませんが、決して無理はしません。たとえ母が寂しいと言っても時間が来れば「また来月ね」と笑顔で帰っていました。

私のなかで可能な時間は2~3時間です。買い物を終えると施設の話を聞かせてもらいます。もちろん愚痴も出てきますが、それを「何とかしないと」とは思いません。ただ、ただ「そうなのね」と聞いているだけ。

カウンセリングの基本は「気持ちを聞いて動かない」というところですが、この気持ちを聞くというところが大切です。私たちは、気持ちをそのまま否定されずに聞くてもらうことで落ち着いてくるものです。

母が話す内容により、それに対して何もできない時には、動かないのですが、そこは親子ですので、手続き等もちろん必要な時には動きます。

母が施設で上手くいかないことがあって(大体は、人間関係でした)私が全て面倒を見るよと言った時、私が大変というだけではなく、プロの介護士さんのようにはできません。自分の人生を全て母の介護のために費やすことになります。すると、イライラしてしまいますし母の犠牲になったと認識してしまいます。

お互いにベストな選択ではないと思いました。

母への感謝を忘れず、無理をしないで私は私の人生を生きることを考えて母に会うと、心に余裕を持って笑顔で接することができました。それは、お互いにいい関係性を築いていくことにもなりました。

親の期待に応えようとすると、それだけで精神的に疲れてしまいます。自分の人生を見失わないで自分は自分の人生を生き、可能なことは、精一杯サポートさせていただくそんな選択でした。

息子さん、娘さんが会社を辞めてまで介護をされると、親が亡くなった後、自分の人生をどう生きていいのか見失っちゃいますよね。

それぞれの選択肢ですので、良い悪いではないのですが・・・

お互いのために施設に依頼した方がいいと思ってみても、罪悪感が湧いてくるかもしれませんが、そこに惑わされず自分の人生を選択されて下さい。自分の人生を生きることが本当の意味で親孝行だと思っています。そこに、親への感謝が自然に生まれてくるからです。

以前の私ですと、母の介護を全面的に請け負い疲れ果てて、母に対して暴言を吐いてしまう嫌な娘になっていたことでしょう。施設のお蔭で最後まで、心にゆとりを持って優しい娘でいることができました。本当にお世話になりました。