1.自分の感情の声を聴く:自己理解から始まる心の癒し
私たちは日々、怒り、恨み、妬み、悲しみ、寂しさ、孤独、虚しさなど、様々なネガティブな感情を抱えています。これらの感情を「感じてはいけない」と抑圧してしまうと、自分の本当の思いからかけ離れ、知らないうちに強いストレスを抱え込んでしまいます。
しかし、心の動きや感情の変化に気づいていくことで、こうした感情は少しずつ解消され、人生はずっと生きやすくなるのです。
「気づくだけで解消される?」と疑問に思われるかもしれません。でも考えてみてください。私たちは誰かに理解され、「そうね」と受け入れてもらうことで癒されますよね。それを自分自身が「そうか、今こんな感情があって、こんな風に思っているんだね」と気づいてあげることで、同じように癒されていくのです。
自分を癒すことができれば、感情が屈折せずに素直になるので、他者に自分の気持ちを伝えやすくなり、結果として他者からの理解も得やすくなります。
とはいえ、自分の感情に向き合う習慣がないと、「こんなものだろう」と思って見過ごしてしまったり、他者のせいにしてしまったりすることがあります。
例えば、自分ができていないことを他の人がスムーズにこなしているとき、「嫉妬」からイライラしたりします。あるいは、自分の中にある嫌な一面を他者に投影して「あの人のこういうところが嫌だ」と感じることで、実は自分の嫌な部分に蓋をして、相手を責めていることもあるのです。
相手の嫌な一面を責めている時、それは実は気づいていない自分の一面を知るチャンスかもしれません。
最初は抵抗があるかもしれませんが、自分の感情を見つめる習慣をつけていくと、「あ、自分は結構頑張ってきたんだな」「よくやってきたよね」といった、自分を癒す気づきが生まれてきます。
2.自分の感情に気付くだけで変われる
振り返る習慣が身について自分への理解が深まると、「納得する」「腑に落ちる」という感覚が生まれ、気持ちが自由になっていきます。
私の例でお話しさせていただきます。
私は人前で話すのが非常に苦手です。少人数制のカウンセリングセミナーを担当したことはありますが、事前に準備ができていれば大丈夫なのです。しかし、突然意見を求められると頭が真っ白になる経験を何度もしてきました。
最近の例では、オンラインで月3回の氣功クラスに参加しています。主に呼吸法を学び、精神を整える時間です。そこでは生き方についても考え、自分の思いや感じていることを話す機会があります。
あらかじめ話す内容を考えておけば問題ないのですが、予想外に「どうですか?」と聞かれると、頭が真っ白になって「えーー、あーー、そうですね」と言葉がまとまらなくなることがよくあります。
この状態は氣功クラスに限らず昔からありましたので、何が気になるのかをじっくり振り返ってみました。
一般的には「上手く話そうとするから」という理由が思い浮かびます。確かにそれもあります。「上手く話さなくてもいいんだよ」と理解すれば、自由になれるはずなのですが、しっくりこない何かがありました。
そこでさらに自分の心に「心よ、何を恐れているの?」と問いかけてみます。(FAP療法では「心に聞く」という方法があります。「心よ」とつけて問いかけます。詳しくは、こちらで案内しいています)
自分を見つめていくのは、なかなか難解なものです。気付かない間に逃げてしまうからです。自分を見つめるというのは、嫌な一面を見ることになるのと、大体きっかけは幼少期のトラウマさんが関係しているため、心の傷に触れることにもなるからです。
そこで逃げてしまうと、どうしても「○○さんが、こうしたから」とか「こう言われたから」と他者に原因を求めてしまい、そんな自分も嫌だなと「自己嫌悪」に陥ってしまいます。
どちらにしても心地よいものではないですよね。
「心に聞く」方法で「心よ。何を恐れているの」と問いかけても、すぐに答えが出てこないことがあります。でも大丈夫です。そのまま自分の課題として心に留めておくと、ふと答えが浮かんでくることがあります。
私の場合、次のような気づきがありました:
幼少期、母がよく私に「余計なことを言いなさんな」と言っていたことを思い出しました。言葉を覚えたての子どもは、おしゃべりなものです。思ったことをどんどん話していたのでしょう。母に「余計なことを言わないように」と言われた時、子ども心に「何が余計なことなんだろう?」と考えたようです。
その結果、「思ったことを話すのは余計なことなんだ」という結論に至り、「思ったことを言ってはいけない」と受けとめてしまい家でも緊張するようになりました。
小学校に上がると集団生活が始まります。自分の思いを表現できないと友人関係を築くのが難しくなり、今度は「ちゃんと話さなければ」と思うようになりました。
「話してはいけない」という思いと「話さなければならない」という葛藤から、急に話すことになると「頭が真っ白」になったのです。さらに「ちゃんと話せない自分への怒り」も湧き、その怒りまで抑圧するようになりました。
抑圧するようになった背景には理由がありました。母は常に愚痴を言い、怒っていたので、それを聞いていた私は恐怖と不安でいっぱいでした。怒りは人を不快にさせる悪い感情だというイメージが刷り込まれたのです。
確かに強い怒りは人を不快にさせることがありますが、私たちは人間ですから、時には怒りも感じます。良い悪いではなく、ただ「私は怒っている」と認識できれば、その後どう対処すればよいかを考えられるようになります。
例えば、「私は、怒っている」と感じるだけで感情が静まることもあります。怒りを感じたその場面では難しいので、後から「私は怒っていたな、何が気になったんだろう?」と自分の心に問いかけてみます。
すると、何となく解決策が浮かんできたりして。浮かんでくれば、いつどのように伝えるかを冷静に検討しタイミングを待つだけです。また、何に怒っていたのか?自分が大切にしている拘りのようなものなどが見えてくると「まっいいか~」と、心が落ち着いていきます。
怒りの感情は良いも悪いもなく、「ただそこに怒りを感じている自分がいるだけ」なのです。
3.自分を知る癒しの力
私の話に戻ります。
母が日常的に怒っていたため、怒りを嫌な感情、悪い感情だと思い、怒りを感じる自分自身へ怒っていたのでした。自分に怒りを感じ、その怒りを抑圧していたので、わかりにくかったのですが、気づくことで落ち着いていきました。
自分への怒りに気づかないときは、何となく体がだるく、何もする気が起きない状態になっていました。もし皆さんも同じような状態になったら、「自分に怒っていないかな?」と心に問いかけてみてください。
自分や他者への怒りを理解し「ただ怒りを感じている」と認識できるようになると、怒りの感情は解放され、心の葛藤からも自由になれます。
その後の私は、話したいと思えば話し、言葉がまとまらなくて話したくないと思えば話さなくてもいいと、自分軸で考えられるようになり、「あ~~う~~」という言葉の詰まりからも随分解放されました。
まとめ
○私は、人前で急に話すことになると頭が真っ白になる傾向があった。
○幼少期、自分が思ったことを話すと母に「余計なことを言いなさんな」と叱られ続け、自分の思いを話してはいけないと思うようになった。
○学校では、自分の考えを話さないと変に思われるため「話さなきゃいけない」と思うようになり、話せない自分に怒りを感じるも、怒りを抑圧しうつ状態になってしまう。
○怒りの感情は母を見ていて嫌な感情と思っていたが、怒りをきちんと認識することで治まっていった。
○その結果、「話さなければならない」「話してはいけない」という葛藤から解放され、自分の意思で「話したい時に話し、話したくない時は話さない」という選択ができるようになった。
このように自分の感情を知るということは、過去のしがらみ(母からの刷り込みや支配)から自由になるプロセスでもあるのです。