1.子供の頃の満たされない感覚から自由になれないのは?
自分やできない自分があって元気
がないの。
私は、かなり自己肯定感が低かったのです。一人反省会が始まると、体は重だるく何もする気がなくなり、四苦八苦する毎日でした。
なるにはどうすればいいの?
一人反省会を行う場合、親にあまり褒めてもらった記憶がない人だと思います。それは、何十年も前のことなので、今の自分には全く関係がないことなんですよね。
しかし、その幼少期のことが「自分は○○できていないからダメ、だから母に愛されない」と、心の傷になって大人になっても影響してしまうものです。大人になって振り返ると、母は心の余裕がないだけで悪気はありませんが幼少期の頃は理解できません。
(悪気はありませんが「嫉妬の発作」などの別の理由があったりしますので、こちらを参照下さい。詳しくはこちら)
母が悪いわけではないのですが、心にゆとりがないために赤ちゃんが要求する感覚を察知できずにズレてしまいます。
ミルクが欲しいわけではないのに、ミルクを飲まされ(笑)、抱きしめて欲しいのに、ほっておかれ(笑) と、ズレズレ。そうなると、欲求不満状態になり「トラウマさん」が残ってしまう可能性があります。
物心が付いた頃には、ズレズレの母なのに「欲求を満たしてもらえない」=「私は、愛されていない」と解釈してしまいます。そんな気弱な自分が表面的にあり、心の深い部分では、欲求を満たしてもらえないという怒りがあるにも関わらず蓋をしてしまいます。
怒りに蓋をして、母に愛されるためにはどうすればいいのか?と母の愛に執着します。母の愛を求めていかないと、母親に捨てられたら生きてはいけないと幼少期は感知するからです。
そんな訳で、大人になっても幼少期の感覚から自由になれないのは、母親の愛に執着してしまうからです。そして、自分の足りないできていないところに目を向けて、愛されない理由を求め自分を責めていきます。
2.自己肯定感をチェックしてみよう
なんて意識していないと思うのよね。
答えるけど、日頃そんなこと考えたり
してないよ。
やって、自分のできないところや出来なかっ
たことを責めていないかチェックしてみてね。
幼少期の満たされない感覚から自由になる
ヒントになるよ。
ところを見つけて、ダメだなと
思ったり、明日こそはやろうと
思ったりしてるよ。
習慣だけど、無意識のうちにやっている
ので、気付かないうちにより自己肯定感を
下げているのよね。まず、一人反省会に気付いてね。
「母親の愛に執着」していると、無意識のうちに一人反省会をしてしまいます。これは、自己肯定感を下げてしまうため、まずはチェックすることを習慣にしていきます。
幼少期の満たされない思いを満たそうとする働きは、「無意識さん」がやっていますので、ちょっとお伺いをたてるイメージで「無意識さん」と交流してみます。
「幼少期は、母親に好かれようとする方法で、私を守ってくれたんだよね。ありがとうね。今大人になって違う生き方をしたいんだよね」ということが無意識さんに伝われば、私の無意識さんは「そうなのね。あなたが思う方向へ協力するためにいるから大丈夫よ」てな感じです。
幼少期に満たそうとした方法から、自分が望む方向へと転換していくには「今までの自分も含めて、これでいい、全て万事OK」と、自己肯定感を持つことです。
自己を肯定している時は、自然に楽しく毎日を過ごしていると思います。落ち着かなくて充実していない時は、「〇〇できていないな」と自分を責めてしまっています。
自己肯定感を上げるために、下げてしまう要素である「一人反省会」に気付いたら「ストップ」と一人なら声に出してもいいですね。(笑)
そして「自己肯定感」が低い場合は、案外、裏に完璧主義が潜んでいます。幼少期に母親に愛されるために完璧を目指そうとしてしまいますから。
「ええーー、私大雑把で完璧主義とは無縁だわ」と思う方もいらっしゃると思います。完璧主義であるがゆえに、完璧にできないから何も手をつけないという場合もあします。私がそうでした。
まずは自己肯定感をより下げてしまう一人反省会を辞めます。
3.一人反省会に気付いたら、さらに自分下げる落とし穴に気付いていく
見えてきたらストップすることができるように
なっていくよ。次にもう一つ意識してみてね。
意識してる?
上手くいっても自慢したり、
偉そうにならないようにって。
謙虚や謙遜は、案外自己肯定感を下げて
しまうことになるので、整理してみるね。
日本人の文化として「謙虚であれ」とか「謙遜」するようにと教えられてきたと思います。自分を優先することが我がままであると捉えられて(尊重であり、我がままではないのですが)控えるようにすることですよね。「謙虚」と「謙遜」は、ごっちゃになっていることが多いのですが、全く違っています。
「謙虚」とは、控え目で、素直に相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。
「謙虚」で、他者の意見も受け入れていきたいのですが、気付けば自分を下げて「謙遜」してしまうことがあります。
「謙遜」とは、自分の能力・価値などを低く評価すること。控えめに振る舞うこと。〔類義語に卑下がある〕
自分を下げることになるのが「謙遜」です。「謙虚」であるつもりが、自分を下げる「謙遜」になっていることがあります。気づかないでやり続けていると、自己肯定感が下がりまくり疲れ果ててしまいます。
自分と違う考えの人を尊重し受け入れ、自分の思いや考えも尊重して、お互いがお互いに尊重し合えば、ストレスなく楽しみながら人間関係を築いていけると思います。それが「謙虚」です。
「謙遜」は自分を下げてしまいますから、人に何か親切にしてもらった時「ありがとうございます」と言いたいところ「すみません」と謝ります。「こんな私が親切にしてもらうなんて」と自分を下げてしまいます。本来は、下げなくてもいいですよね。
シンプルに親切にしていただいたこと、助けていただいたことに感謝ですよね。
いきなり肯定するのは難しいので、否定するのを止めていきます。自分への否定を減らしていくことで肯定的な一面が見えていきます。
人から肯定的な嬉しいフィードバックをいただいたら、おべんちゃらと思っても、自分ではそう思わないと思っても「ありがとう」とか「そのお言葉嬉しいです」と受け入れて自分への否定とおさらばしちゃいます。
幼少期からの「母に対する愛の執着」から自由になって、人生をストレスなく楽しんで過ごしていくために、是非「自分への否定」に気付いて手放していって下さいね。